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 地球温暖化に対して対策を取ることが国際社会にとって喫緊の課題であるなかで地球温暖化対策をどのように行うべきかについては多くの議論がある。しかし、実効性のある地球温暖化対策を行うには「なにが環境に良いか」「どうすれば地球温暖化を軽減できるか」ということを考えるだけでは不十分であり、「どうすれば地球温暖化対策を国際的に協調して実行できるか」ということも考える必要がある。事実、地球温暖化対策を巡る国際交渉では国家間の意見の差異から議論がまとまらず実効性のある対策をとることができていない。 地球温暖化対策に関する国際的な合意として1997年に採択された京都議定書は各国の温室効果ガス削減義務を定めた点で画期的なものであったが、米国が批准せず中国やインドなどの途上国等に対しては数値目標による削減義務が課せられていないといった問題点があり実効性に欠けたことは多くの人の知るところであろう。 この京都議定書の約束期間が 2012年に終わり、現在はポスト京都議定書となる枠組みの締結に向けた交渉が行われている2015 年に開かれる第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)で、2020 年以降の世界の気候変動・温暖化対策の大枠を定めたすべての国を対象とする法的な枠組みを作ることが目指されているが、実効性のある枠組みを作ることができるか予断の許さない状況が続いている。

 

 多くの国が地球温暖化対策の必要性については理解しているのにもかかわらず、なぜ国際協調が容易には進まないのだろうか。地球環境にはいくつかの要因を指摘することができるが、大きなものとして、そのコストは削減国が負担するが便益は国際社会全体が享受するという一種の公共財の性格を温室効果ガスの削減がもっていることがあげられる。このような場合、他国に温室効果ガスの削減を行ってもらいその便益を享受する「ただ乗り」を行う誘因を各国が持つこととなる。この「ただ乗り」問題は地球温暖化対策を限らずグローバルガバナンスの多くの課題が直面する問題である。

 

 とはいえ、この「ただ乗り」問題は決して解決ができないものではないはずである。例えばこれに関連して古くから知られる問題に共有地の管理がある。共有地である牧草地に複数の農民が牛を放牧することを考えよう。このとき牛を放牧し過ぎては草が食べ尽くされてしまうことになる。この状態は避けるべき状態であるのは違いないが、それは農民にとって放牧する牛の数を抑えることが最適であることを必ずしも意味しない。ほかの農民が牛の数を抑えることにただ乗りし自らは牛の数を抑えない誘因を各農民はもっているのである。その結果、温室効果ガスの削減が進まないように農民がみな放牧する牛の数を抑えず、牧草地の草は食べ尽くされてしまうかもしれない。これは「共有地の悲劇」と呼ばれる問題であるが、実際には多くの農村ではこうしたことは発生せず、農民は協調して牧草が食べ尽くされないように牛の数を管理してきた。

 

 なぜ多くの農村で「共有地の悲劇」は発生せず管理に成功しているのか。それと地球温暖化対策の国際協調はどのような点で差異があるのか。こうした点からはじめて、このディスカッションではまず、地球温暖化対 策の国際協調がどのような点で難しいのかについて明らかにしたい。そしてそれを踏まえてどうすれば協調が達成できるかについて議論する。こうすることで、地球温暖化対策に限らず多くのグローバルガバナンスの課題が抱える「ただ乗り」問題をどうすれば解決できるかについて考えたい。 

第一討論 

地球温暖化の「ただ乗り」問題

第一討論

過去ディスカッション

ここでは第36回国際学生シンポジウムで使用したディスカッションテーマを公開しています。

 

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