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 冷戦構造のくびきが外れたことによって、多くの地域で分離独立や内戦といった国内・民族紛争が同時多発的に生じた。旧ユーゴ地域やアフリカ諸国では分離独立や内戦のさなかで、一民族が他民族を公式・非公式に 迫害する事件が多発し、ジェノサイドを含む大規模な人権侵害が幾度もおこった。

 

 そうした中、人権規範意識の高まりや、冷戦の終結によってこうした国際的問題に対して大国が足並みをそ ろえて対処することがある程度可能になったことから、「こうした人道危機に対しては内政不干渉の原則に反してでも介入すべきだ」とする風潮が高まった。そして実際、何度か安全保障理事会の決議を通したり、あるいは通さなかったりもしながら、こういった大規模な人権侵害が起こっている国のいくつかに対しては軍事介入が行われた。これを人道的介入(humanitarian intervention)という。過去の例としては、ソマリア、ボスニア、コソボ、リビアなどへの介入がそれにあたる。

 

 しかし、こういった人道的介入の正当性は常に議論の的になってきた。自衛以外の武力を行使しないという第二次世界大戦後の原則を破ってまでの軍事介入は、「人道」の名の下に行われるだけに、その目的や手段は果たして本当に純粋に人道的なものだったのか、結果として介入がなされなかった時に比べて人権状態は改善されたのか、などその正当性への疑問は絶えない。

 

 もしこうした介入が必要となる時が今後あるとしたら、過去の介入の事例の正当性を吟味することによって、 より正当性の高い慣行を積み重ねていく必要があるだろう。一方で、「人道的」な介入などありえず、どんな場合にも介入すべきではない、という考えを持つならば、「無辜の人々が虐殺されているのに何もしなくていいのか」という問いかけに納得のいく答えを提示する必要があるだろう。「国際政治に倫理などなく、各国の行動原理は国益のみ」といった懐疑主義的な考え方を持っている人々からしたら、こういった倫理的な問題、正当性の問題について考える事は無意味なのかもしれない。しかし、少なくとも対外的にははどの国も自身の行動を正当なものとして主張するのだから(それは法律家のゲームに置き換わっただけに過ぎないと考える人もいるだろうが)、こうした正当性の議論がなんの意味も持たないという事はないはずだ。

 

 本討論では、まずは「正しい戦争はありえるか」というところから議論を始めて、ソマリア、コソボ、リビアという3つの人道的介入の事例を通して、人道的介入のそもそもの是非について考える。最終的には、1.「人道的介入が必要な場合もある」という結論が出た場合には、その理由に加えて、人道的介入のあり方を改善する方法を、2.「すべての人道的介入を認めない」という結論が出た場合には、その理由を、それぞれ導き出したい。 

 

 

第三討論 

人道的介入の正当性

第三討論

過去ディスカッション

ここでは第36回国際学生シンポジウムで使用したディスカッションテーマを公開しています。

 

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