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環境

 有料のレジ袋、企業のCSRに掲げられる環境保護、植林やゴミ拾いと行った様々なボランティア活動…。環境を守る、という文脈で語られることを私たちは疑いもなく「よいこと」だと解釈し、また「よいこと」として発信する。逆に環境を破壊せよと叫ぶ人はいない。

 

 だがしかし、そもそも「環境を守る」とはどのような行為なのだろうか。植林をしたり、画期的な発明をしたりするような目に見える成果を出すとしたら、それは確かに「環境を守る」と言えるかもしれない。だがそれだけではない。もし仮にそうだとしたら、「環境を守る」という行動はかなりの余力や時間、高度な知識を持つ一部の人や企業のみの特権化された行為となってしまう。私たちは「ひとりひとりの意識・取り組みも重要だ」ということも常日頃から言われている。「環境を守る」という行為は全員が平等にできることであるはずだ。しかし、私たち個人が環境に与える影響は微々たるものであり、おそらく大きな変化をもたらすものではない。そのような個々の行動が「環境を守っている」と果たして言えるのだろうか。また上記に挙げた「目に見える成果」は成果物が目に見えるだけで環境への影響がどれだけなのかを可視化することができない以上、個々の行動と同じ次元からは脱出できてはいない。

 

 以上の様に、「環境を守る」という行為が全く具体性を持たない抽象的な理念にすぎないにもかかわらず、私たちは「環境を守ること」とはどういうことかを何となく理解したつもりになりがちであり、さらにはそれを「よいこと」だと疑いもなく判断してしまいがちである。

 

 このことの危険性は十分に顧みられなければならない。例を挙げると「環境を守る」=温室効果ガスの排出削減、と定義されたが最後、火力発電は弾劾され違った発電がもてはやされる。原子力発電が設置された当初は「二酸化炭素を出さないクリーンエネルギー」だとされた。しかし東日本大震災時の事故による放射性物質の拡散によって多くの環境は破壊されてしまった。このように、「環境を守る」ということは多義的であるのにもかかわらず、一義的に解釈されてしまった結果、その他の「環境を守る」ことの意味が捨象され、違う意味での環境破壊に目を向けられない結果となりかねない。

 

 本討論会ではまず、「よいこと」と私たちが判断する際の基準がどこにあるのかを考えることで、私たちが「環境を守ること」をよいことだと判断する根拠を探求する。その上で、私たちが「環境を守る」という行為をどのように解釈しているのかを具体的な行為ではなく、定義することを目的とする。

 

第一討論 

第一討論

「環境を守る」とは?

過去ディスカッション

ここでは第36回国際学生シンポジウムで使用したディスカッションテーマを公開しています。

 

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