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教育をめぐる議論がさまざま為されている。具体的には、ゆとり教育をどうするべきか、グローバル化に対応した人材の育成、ICT教育をどのように導入していくか、教育格差の改善策などがあげられる。これらの議論は、どのような政策を行うべきかという政策の中身に関するものだ。

 

 しかしながら、どのような政策を行うべきかという部分だけが重要なものなのだろうか。誰によって、どのように政策が決定され、実施されているかということもまた必要な要素なはずである。その理由として、まず、現代の日本には政策に関する知識、情報があふれていて、政策の課題もたくさんあることがあげられる。そのなかでどのような知識、情報を使うのか、そしてそもそもどのようなものが政策上重要な課題として取り上げられるのかについて考える必要があるだろう。そして、政策は官僚、政治家、専門家、世論など異なったアクターが関わりあうことによってつくられるものである。こうしたアクターがどのようにかかわり合い政策が形成されていくのかについても考える必要がある。

 

 教育政策を扱う際にこうした問題について考える必要は、従来よりも増している。かつては政策共同体と呼ばれる閉鎖的な共同体の中で意思決定が行われていた。中央の教育行政は文部科学省・与党の文教族の政治家・教育業界関係者によって審議会等の場を利用して閉鎖的に政策決定がなされ、地方の教育行政は「文部科学省―都道府県教育委員会―市町村教育委員会―学校」という縦割り構造の中で教育長以下の官僚組織によって閉鎖的に担われていたのである。しかしながら、社会状況の変化の中で教育が重要な問題としてとりあげられるようになったことや政治主導の強化などを背景にそうした政策共同体内での閉鎖的な意思決定では上手くいかなくなっている。どのような政策過程が望ましいのかについて考えなければならない時期に来ているのである。

 

 この討論会では、まずゆとり教育の失敗と地方首長主導教育改革を事例として現在の政策過程を分析し、その好ましい点・好ましくない点を明らかにしたい。ゆとり教育は中央における従来の閉鎖的な教育行政が失敗に終わった事例であり、これをめぐっては学習指導要領の改訂過程、世論・国民との向き合い方、現場での施行に向けた準備など政策過程の問題が失敗の要因として指摘されている。また、教育委員会と対立した橋下大阪市長からもみられるように、近年は地方で政治主導での教育改革もしばしば行われている。これは地方において政策共同体内での政策決定が政治家の積極的なかかわりによって変化を求められているものと言えるが、首長が教育政策に関わることをめぐっては教育の中立性などを背景に懸念する声と一方ではリーダーシップに期待する声がある。

 

 この2つの事例をまず分析することを通じ、最終的には教育問題において「どのような政策を行うべきか」ではなく、「どのような政策形成が望ましいのか」について議論していくこととしたい。

 

第三討論 

どのように教育政策を作るべきか?

第三討論

過去ディスカッション

ここでは第36回国際学生シンポジウムで使用したディスカッションテーマを公開しています。

 

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