top of page

グローバル化の進展は、人の越境的な移動を可能にし、一国の中においても、異なる文化的な背景をもつ人々が接触するようになり、日常生活で話される言葉や人々の行動、そして物事の捉え方や価値観も多様化するようになった。そのような中、文化の違いから生じる差異を背景とした文化摩擦が生じるようになった。というのも、文化とは私たちのアイデンティティを構成するものであり、譲り合うことができないものだからである。 しばしば、文化に関する問題は、それぞれの文化を本質的なものとし、「結局は異なるものだから理解しえない」という言説のもと語られる。文化を異にする者は“絶対的他者”とされ、彼らとの共生は不可能とさえ言われてきた。たしかに、人々の往来が激しさを増し、異なる文化背景を持つ人々が入り混じる社会の中で対立が生じ、共生が難しいというのは推測できるだろう。しかし、2世3世はどうなのだろうか。彼らの多くは、前の世代がもつ文化背景にあまり影響されず、現代の主流社会の文化圏の中で育っている。それにも関わらず、 実際は、自国の中で“絶対的他者”として扱われ、アイデンティティ形成に不安を抱えているものたちがいる。

 

エリクソンは、私たちは生きる過程で、「私は何者か」という問いに絶えず晒され続け、移りゆく時代の中で、変わらない自己を求め続けられている、と述べている。しかし実際は、固定されたアイデンティティなど 存在せず、すべてのアイデンティティは構築され続け、流動性を持つ。状況に応じて「個」は複合的なアイデ ンティティをもって生きているのである。また、ナショナル・アイデンティティなどの「集団」のアイデンティティは、排除と包摂、支配と依存の権力関係の中で語られる。カテゴリーの外部では差異を、カテゴリーの内部では同質性が求められ、アイデンティティをめぐる境界は絶えずひき直しが求められる。しかし、立ち止まって考えてみると、アイデンティティの境界線は何によって規定されるのであろうか。

 

上記にもとづき、今回はオーストラリアの先住民アボリジニの第2・3世代を取り上げたい。“アボリジニ” に関して一般的には、「依然として原野を裸足でカンガルーを追っている原始人」というイメージがある。しかし、彼らは200 年のにわたるヨーロッパ人との接触を通して外見的にも文化的にも白人化が進み、都市部で生活するようになってきている。都市の路上ですれ違っても、2世3世以降は、白人をはじめとして様々な人種との混血化が進んでいるため、アボリジニであるかどうかを判別することは難しい。そのような中、金髪で白い肌を持つためにアイデンティティに悩むアボリジニや、就職の有利を得るために自らの出自を偽るアボリジニも存在する。

 

もっともオーストラリアには主要都市が幾つもある。特にシドニーは、多くのアボリジニ人口を擁しており、 さらにはアボリジニ運動がもっとも活発的に行われている都市である。そこで、本討論では、シドニーにおけるアボリジニに焦点を当て、都市部に住むアボリジニ2世3世のアイデンティティの不安はどこから来るのかを考え、彼らのアイデンティティを巡る境界について、その解を見つけていきたい。

 

注:オーストラリアにおける呼称や表記には、Aborigines, Aboriginal people, Aboriginal Australians, Indigenous people, Indigenous Australians などがあり、しばしば「アボリジニ」と表記される場合は差別的とされている[前川 2005:19]。しかし、今回はそのような意図は含まず、英語でも名詞形である「アボリジニ」 を採用する事にする。

 

第二討論 

アイデンティティの境界は何によって規定されるのか —都市部におけるアボリジニ 2 世 3 世の葛藤— 

第二討論

過去ディスカッション

ここでは第36回国際学生シンポジウムで使用したディスカッションテーマを公開しています。

 

bottom of page